8 Mar 2010

長老の栄養

私の職場は年齢層幅広く、上は75歳から下は1歳半まで日々出入りしています。「職員」というわけではないんだけど、上も下も職場の大切な人たち。


先週一週間は最高齢75歳の長老と毎日30分ずつ会ってお話する機会がありました。とてもためになりました。英語で言えば「nourising!」生きる糧を貰いました。


長老語録:
「自分はトマトだと思いなさい。トマトはヤシの実には絶対なれないでしょ。ヤシの実になるとするんじゃなくて、より良いトマトになりたいと思ってれば良いのですよ。トマトのままでいれば。ほっほっほ。」


「(仕事上、ケアする)相手を時々殺してやりたいと思っているのはみんな一緒ですよ。そんなの誰でも一瞬思うから。そう思うのがね、普通。」「自分の怒りに最悪感感じないようにね。」(えー!?)


「みんな生きる価値があるから生きてるんでね。生きる価値がなかったら、最初っから生まれてないからねー。この世の全てのものにそれぞれ独自の価値があるんだねえ:)」




と50歳先輩のベルギー人長老は私の愚痴を笑いで受け止めてくれました。職場に長老がいて良かった、と再確認。今まであまりブログで書いたことありませんでしたが、私の職場は知的障害者のグループホームと作業所です。日々人人人人人相手の仕事です。なかなか怒り悲しみ疲れを隠して上辺だけのおつき合いすることが難しい所です。プロなので怒りはもちろんコントールするわけですが、それでも「このやろーーーーーーーーーーーふざけんなーーーーーーーーーーーーーちゃぶ台があったら引っくり返したろうかーーーーーーーーーーー(でも我が家のテーブル重すぎ。ちゃぶ台じゃなくて良かった…)」という場面がほぼ毎日ある。これは他の同僚に対してもケアする相手に対しても同じです。


昔私は「嫌いな人一人もいない」というのが結構自慢だったわけです。つき合う人たちとはうわべだけでもそれなりの良好な関係を築くのが得意な方だった。(今でもどちらかと言えばそうなのだが)でもイギリスで今の仕事するようになって、「何だかこいつ…/絶対許せん…」とめらめら嫌い炎が成長するようになりました。最初は昔こんなじゃなったのにーと戸惑いましたが、今は「あー嫌いな人が出来て良かった。自分に正直になれるようになってきた、ほっ」としています。それと同時に自分が出来ないことがあってもいいのだ、と思うようになってきた。仕事始めた頃は「出来ない」=「挫折」でしたが、今は結構平気で「私は○○が苦手だ。××さんの方がうまくこなせる」と言えるようになった。。まーこれが企業だったらそんなこと言ってられないかもしれないけど、私の場合人相手の仕事なので自分に正直になった方が、相手のためにもなるというか。 


とにかく今年のテーマは「自分に正直に。人の面倒見る前に自分の面倒見ろ。」 
ストレスは発散して行きたいと思います。ひとまず今月末に大好きなバンドtunngのライブチケットを入手。歌ってくるゼイ。叫んじゃおうー。 おうおう。


長老から貰った言葉で締め
「Befriend your anger. Listen - it has much to teach you.  Don't try to please everybody.  Charity begins at home - please yourself.」



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