31 Jan 2010

Gosberton Hotelの思い出③

今日は写真のみ。
今日で休暇終わり、明日から共同生活騒動生活に戻ります〜。





30 Jan 2010

Gosberton Hotelの思い出②


かつての下宿先P氏の3階建て、ビクトリア時代の家は寝室が5つ。そこに下宿人が入ったり出て行ったりするものだから3年間住んでいるうちに色んな人たちと毎日の生活を共にしました。


ロンドンでは一部屋だけのフラットというのが高いので、学生や若い人たちはハウスシェアやフラットシェアで他の人たちと住むのが一般的。もちろん結婚していても貯金するためシェアしている人も要るし、貸家を又貸し、購入した家の一部を貸してローンにあてる、成人して家を出て行った子供部屋を貸す、など色んなところで部屋が借りられます。シェアの家でも隣に誰が住んでいるのかよくわからない…独立型シェアもあるし、友達同士で借りて共同生活というのもあるし。


P氏の家は、ご飯食べたり、パブ行ったり、出かけたり、ビデオ見たり…とみんなで色んなことを一緒にしてました。ある意味家庭的な共同生活で今の棘猫共同生活のいわば前身みたいなもの。でもやっぱり他人と一緒に住むって、楽しい分苦労も計り知れない。
みんながそれぞれ、これは許せん譲れん!というものがあり、それがお互いにうまい具合にシンクロしないとなかなか大変なことになるわけです。風呂の使い方から、食器の洗い方から、夜中のトイレ利用頻度具合から、お金の支払い、友達の連れて来方、交際関係、猫の世話の仕方、芝の刈り方、バナナの食べ頃の見極め方、自転車の止め方、鍵の開け方、お風呂のお湯加減…などなど。人それぞれが譲れない部分とはありとあらゆるとんでもない暮らしの細部まで幅広く存在するものです。で、意外とそれが何かは他人と暮らしてみるまでわからない。


でもそこを何とかお互い譲り合い共同生活を営むのですが、時々これは百歩譲っても絶対ありえないという人にも出会いますね。トイレットペーパー買ってきてくれるって頼んだら「F..k off! I'm to busy!」と逆切れされたこともあったなあ…。ある人が引っ越した後に部屋を片付けていたら大量のポルノ雑誌が発掘され、こっちが処分するはめになった…とか。今はいい思い出(か?)。


よくロンドンでは一番の親友とは家をシェアするな、と言われていますが、実際経験してみると何故駄目なのかよくわかります。結局見る必要なかった部分まで見るはめになるからね。家をシェアすることで人間関係にひびが入ったケースは二三件目撃しました。これは凄く痛い!特にお金が絡んでくる場合が多いので、関係は修復不可能になる場合が多いみたい。精神的苦痛も金銭的苦痛も味わうはめになるようです。


私は幸いにもそんなケースを免れ、お寿司屋さん、美容師さん、大学の友、そしてPと共同生活を営むことが出来ました。よかった。でもまだまだ続く共同生活…。2010年で共同生活7年目突入。もし10年目に突入したら共同生活エキスパートの仲間入りか。攻略本出そうかな。


現在のP氏の共同生活の友、ビンブルちゃん。

27 Jan 2010

Gosberton Hotelの思い出①

今Balhamにある行きつけのホテルに来ています!と言っても知る人ぞ知る私の友達P氏のお家ですが。
私が学生時代3年間住んだなつかしの場所。この家はP氏の方針でベジタリアンハウス(魚はOK)なのですが(猫だけお肉OK)、当時20歳の私はあんまりベジ料理もどうしたらいいのかわからず、最初の一年で5kgぐらい痩せ、医者に行ったら栄養失調なりかけです、って言われたこともあったなーと。心配した母氏が混ぜて飲むプロテインの粉を大量に送ってきてくれたこともありました。今思い出すとかなり笑えますが、当時は大まじめでしたね。


あの頃は親からの仕送りもあり、バイトもしていて、結構リッチだったはずなのに、お金は美大の材料費と旅行代にすべて消えて行ったような。大学の休みの度にウクライナやらイタリアやらバングラデシュやらに行ったのもその時代。
当時(二十歳だった)は食費を一週間15ポンド(当時3000円)と決めていたけど、一体そんなんで何を買っていたのだろうか…今は頭をどうひねってもよくわからない。
とにかく生魚は高いので、カニかま95pとタラコの缶詰1.20pとサバの薫製1.50pをローテションさせながら懲りずに毎週毎週買っていました。
タラコの缶詰ってイギリスではあるのですよ。見た目は悲しいかな、猫のえさと全く同じ感じ。味も特にないのですが…それをタラコスパゲッティにしたりしてました。薫製ではないのでただ魚臭い、という感じでしょうか。いつもお醤油と合わせていました。
カニかまは食べ続けて3年ぐらい経った時、「一体この中にはどれだけの化学調味料が入っているのだろうか…」「一体どれだけのカニかま着色料が私の体内に蓄積されてしまったのだろうか…」と急に気づき、それ以来食べる気が失せてしまったというか…いや気づいてよかった。
サバの薫製は唯一今でも買うもの。脂がのっていて、香ばしくて、うまいですね。酒のつまみどうぞ。

タラコ缶と中身の様子 



カニかまとサバの薫製



23 Jan 2010

最近色々と共同生活内と自分生活内がごたごたしていて、あんまりブログも書く気にならずじまいでした。


でも昨日になり久々にイラストの仕事の依頼があり、やったー!、と共同騒動生活を脱出し、インドで休暇中の同僚の家に引きこもり、もくもくと羊を描いていました。もくもくと言っても、途中で昼ご飯の誘惑に負け休憩を1時間半も取り、その後胃が全身の血を奪ってしまったことを口実に昼寝し、夜になると何だか本が読みたくなり一気にPrimo LeviのMoments of Reprieveを読み、という感じで結局あんまりイラスト自体は進みませんでした。いつもこんな感じです。

今回の作品は隣町で来月開催されるFolk Labという催し物に出すものです。ヨーロッパの昔話をテーマに演劇やダンスや作品の展示があるそうで、私はそのうちの一つのポーランドのクラクフの竜伝説をもとに羊の詰め物のようなもののイラストを描いています。よくわかりませんな。興味ある方はこちらのサイトで「竜伝説」を読んでみてください。一応売られるそうなので誰か目利き(?)が買ってくれないかなあと勝手に妄想しております。


その他にもイベントで貸しコスチュームを提供するグループからロゴの作成も頼まれているので、一気にバンと描くつもりでいます。でもつもりなだけで結局は昼寝しながら、食事しながら、共同生活しながら、きっとだらだらと…。 


今までの他の作品はこちらです。

15 Jan 2010

変わるもの変わらないもの

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、娑羅双樹の花の色…と中学時代暗記しました。(あと芭蕉の奥の細道の冒頭なども。)世の中は変わっていくもの、はかないもの、と教わったっけ。


①味覚は変わったり変わらなかったり
昔全然食べられなかったセロリ、クレソン、ピーマンは大好きになりました。よかった。特にセロリ大好き。野菜版「うまみ」を持ち合わせていると思うのは私だけでしょうか? 豚肉とのマッチが何ともいえません。
昔大嫌いだった「カキ(牡蠣)」。もうしばらく食べていないし、セロリのように食べられるようになったかも!と相当期待して食しましたが、一口で断念。何でこんなに苦いんだぅぁ。ぅぅ。と涙しました。なんで!みんなあんなにおいしそうに食べているのに私だけ!!と、少々口惜しいです。
昔からあんまり好きでもない「コカコーラ」。今でも変わらず好きでもない。何なんだあの薬の味は!しかも一口飲むとしゃっくりが出るので(他の炭酸飲料同様)普段は遠慮しています。健康食品子育て術にまんまとはまりました。良かった。
昔好きだった「カニかま、はんぺん、とびっこ、魚の目」などは今ではそこまで好きな部類には入りません。練り物系や加工系は卒業か!?


②ファション雑誌恐怖症
というかいわゆる女性誌。今まで一度も買いたいという欲求がなかったのですが、いや、きっと読んだら面白いかも!と期待してこの前同居人の「COSMOPOLITAN」を借りて、寝る前に真剣に読んでみたのですが…5分で気持ち悪くなり断念。
なんなんだー男が最もセクシーと思う女の仕草ランキングとかアンジェリーナジョリーの処女喪失体験とかあなたのその行為どこまでいけば浮気?とかーーー(ちゃぶ台返し)。気持ち悪くなりました。ぐぐう。
小学生の頃からおばあちゃんの家にあった「週刊朝日」の巻頭巻末グラビアを読みながら育ったっていうのに。意味わからないのに山藤章二のコラムとか読んでいたのに…。それがいけなかったのか。


③一人になりたい症候群
中学生の時は登校中に友達に会いたくないがために、わざわざ遅刻していた私。人間って変わらないものです。今でもみんなと一緒に…が大の苦手です。一番苦手なシーンは、何かのイベントの待ち合わせポイントまで一緒に行く…というやつです。待ち合わせてみんなで一緒になるのに、何でそれ以前に一緒に過ごさにゃイカンのだーーー(ちゃぶ台返し)。
最近、大雪の影響で足止めをくらった人たちで、我が共同生活は日中かなりの人口過多でした。案の定私は具合悪くなりました。一人になりとぅあい…なぜにトイレに行くのに人に会わねばイカンのだ…と。クリスマスやイースターも大勢の人が集まるので苦手の部類ですが、料理を作ると台所に引きこもれる、という特権があるためなんとか生き延びています。でもこんなこと言いつつ、結局は6人で共同生活を営んでいるし、一人で暮らすのは寂しそうで想像し難いし、どっちもどっちなんですね。


④ロンドンの交通費
インフラです。一体この都市に何が起こっているのか私は全くわかりません。毎年1月2日は恐怖の交通費値上げの日です。毎年値上げって!どうなんですか!ちょっと!一体世界中どこの都市が毎年交通費の値上げしているっていうのよ!ロンドンだけよ(調べていません。単なる私の考えです)! 私は下町住人で地下鉄よりバスをより多く利用しますが、今年はバスの運賃が20%の値上げとなりました。片道1.20ポンド。バス一日券は3.90ポンド(去年は3.20ポンド)。私が6年前にロンドンに来たときは片道70セントでした。このインフラぶりに対してはあんまり深く考えたくありません。ちょっと逃避したいです。選挙権もないし…。


⑤赤いほっぺた
小さいときから寒くなるとすぐ赤くなる私の頬よ。年取っても変わらない。この雪で、寒さで、どうやら状態が悪化したのか寝ても覚めても四六時中赤いままです。周りの人が、「萌、熱あるんじゃない!休んだら!」と気を使ってくれるほど。少々熱も持っています。寒中アレルギーなんでしょうか。しもやけでしょうか。ロシア人のフィギュアスケーター状態です。見た目とても子供っぽいです。

⑥父の仕事
ずっと働いてきた父さん退職。おつかれさん。父が働きにいかないとは、一体どうゆうことなのかいまいち想像できず。家で何するんだろう…。料理とか始めるのかな…干物作ったり…ピアノ習い始めたりとか…日曜大工…なんて。

10 Jan 2010

鳥のミルク的議論

私が一緒に共同生活を営む同僚5人はそれぞれ、リトアニア、ルーマニア、ポーランド、グルジア、インド出身です。文化も言葉も習慣も年齢もばらばらながら、それなりに何とかまとまってうまくいっているわけです。
ところが時として、私とインド人君が全くもって話に着いて行けない瞬間というものが訪れるのですが、それはどんな時でしょう〜。クイズ。


答えは残りの4人がソビエト時代の話、もしくは東欧文化の話をするときですね。みんな昔話を、あの時はこーだあーだ、私の国ではこーだった、俺の国ではどーだった、とするわけです。例えば、テレビでアニメの放送時間はポーランドでは15分だったけどリトアニアでは1時間だった!ソビエト版ニセミッキーはこーだった、あーだった、などなど。4人がそろって「あーそだよね」と盛り上がっている時、私とインド人は完全なる異邦人というか、全く持って蚊帳の外というか、地球をちょっと訪れてみたエイリアン、といった感じになるわけです。彼らの話の話題がわかる時はいい方で、時には何について話しているのかさえわからないこともよくあります。

この前はこれの話題で4人が完全に盛り上がっていました。チーム蚊帳の外の相棒、インド人が休暇中のため私は一人寂しくチーム蚊帳の外をやっていました。

リトアニア人姉さんが休暇のお土産に買ってきた「Anytime」でございます。中身が柔らかいマシュマロのようなバニラ味のチョコレートです。マシュマロではないのですが、日本でいえばアイス「雪見だいふく」の外側部分が入ったチョコレート、というか、なんとも美味なお菓子でした。後々の説明に寄ると、旧ソビエト圏では有名なお菓子らしく、色々な国で買えるそうですが、商品名がそれぞれの国で異なるとか。それでもって4人は「Anytimeってなんだー本来ならば「Bird's Milk」(鳥のミルク)だろー…いやうちの国ではこーだ、私の国ではあーだ」とこのお菓子の商品名論議を交わしていたわけですね。熱が収まった10分後ぐらいにグルジア人氏が通訳してくれました…。わざわざありがとうね。ちなみにロシア語で「Bird's Milk」とは実在するはずがないほどのすばらしいもの、という意味らしいです。

でもみんな仲良く話しているばかりでもなく、時々それぞれの国の対ロ関係の話題になるととても険悪になります。みんなそれぞれのロシアに対する恨みつらみを抱えているようで、それを他の旧ソビエト圏の国民が指摘しようなら、どんよりとした雲が立ちこめます。そうゆう時でさえ私はいまいち何故こんなにも険悪なのかがすぐには理解できないことが多いのですが。この前は私が「Two Caravans」という東欧EU圏からのイギリスへの出稼ぎ労働者たちを題材にした小説を読み、その感想をポーランド人氏とグルジア人氏に話したら、あっそと軽く鼻であしらわれました。「あんたに何がわかるの」っていう感じなんだろうきっと。 


ロンドンは本当に国際色豊で、自分って何も知らないんだ!と刺激を受けるのにのにとっておきの場所です。世界は広いなあ。最近旅行をあまりしていないので、今年は足を伸ばしてどこかに行こうかしら。父が退職して海外に出かけるらしいので、どこかで落ち合うのもいいなあ。

世界は広いが、私の部屋は狭い…しかも散らかっている、の図。 

 

6 Jan 2010

北の国から2010

風邪を治しつつ、零下5度の夜、昼間も最高気温2度のロンドンで寒さをしのいでいたらこんなことになりました。

雪って街の雰囲気を一気に変えるのでおもしろいですね。とにかく雪の日はロンドンが静かで、ざくざくと雪を踏みしめる自分の足音が奇麗です。ロンドンは東京以上に雪に弱い都市ですが、でも住民は思い思いに楽しんでいます。昨晩は深夜12時半頃、日本酒ほろ酔い気分で帰宅途中、一家総出でそりすべりを楽しむ人たちに遭遇。子供二人と父ちゃん。おもしろくって話しかけたら、まだ雪が深くなくてうまくできない!と言っていました。明日(今日のこと)また再挑戦するそうです。
らーらーららーらららーら。と「北の国から」を思い出しましたよ。というのもつい最近椎名誠と倉本聰の対談を読んだので。富良野って観光地化されること無く、独特の雰囲気を町ぐるみで守っていい所だねえ、と話していました。でも昭和58年の本なので27年も経った今でも倉本聰氏は同じ意見なのだろうか。私はあまり「北の国から」を見たことがないし、富良野にも大して興味が無く、母親の影響を受けさだまさしも好きではないのですが…あえて言えば蛍ちゃん役の中嶋朋子が好きです。


最近はたんたんと色々なことをして過ごしています。昨日は雪の中、日系古本屋さんへ。川上弘美、河瀬直美、天童荒太の本を購入。夜は日本酒で日本人会があり、飲みながら同僚の狐氏にブラジルのダンス、フォホを教わりました。でもさっぱりで狐氏の足を踏みまくりました。ごめんよ。私はラティーノではないのでね、体が馴染まんのです。しかし日本って絶対に日常で男女組んでに踊りませんね。ちょっとフォーマルに小学校のフォークダンスぐらい…。それから20年前のビートたけしと高田純次のテレビ番組などを笑いながら鑑賞。二人とも若くていい男だった(過去形か)。


今日は騒がしい共同生活から避難して、近所のBrockwell Parkへ。散歩した後、屋外プールの脇にある「Brockwell Lido Cafe」でキッシュを食べながら林真理子の「素晴らしき家族旅行」を読みました。Lido(ライドー)とは、屋外プールのことですが、ここは冬でも週2日はオープンしています。西欧人や北欧人は寒中水泳が好きねー雪の中でも泳いでるかな、と思って見てみるとプールは完全に凍っていました。


小説「素晴らしき家族旅行」は老人介護、嫁姑問題、遺産相続問題、年の差婚などを一気にテーマにしたおもしろおかしい小説なんですが、読み入っていたらいつのまにか大雪に!帰宅ラッシュにもぶつかり、しかもOyster Card(ロンドン版Suica)の残高が〇!キャッシュマシーンも壊れている!という事態で10分で帰れる道のりを1時間かけて帰ってきました。寒かった。今晩はケートウィンスレット主演のThe Readerを借りたので鑑賞します。本当はワインなんぞも買ってきたかったのだが、パスポートを持ち合わせていないことに気づき断念。私今年で26歳になるのですが証明書無しには酒を買えない身でして、苦労しております。どうやらイギリスに住む30代20代日本人の共通の悩みのようです。ちなみにイギリスではお酒は18歳から。若く見えるっていいことだわ。

2 Jan 2010

熱正月




新年明けましておめでとうございます。
2009年は例年通り、本当に色々な方にお世話になりました。遠くは日本から、近くはこのロンドンの下町で笑いから涙から感動まで共にしてくれた方々、どうもありがとうございました。ロンドンで、フランスで、ウェールズで、ブリストルで、イーストボーンで、イスタンブールで、東京でそして静岡で新しい出会いがありそして昔からの出会いもまた新たに暖めることが出来ました。


2010年は下町ロンドンの自宅で、水、抗生物質、解熱剤、みかんを枕元に従え、遠く新年の花火を聞きながら迎えました。今の所かなり具合が悪く、あーあ嫌な新年の迎え方だわ…と思いつつ、でも大丈夫?仕事休みなさい、休憩とりなさい、一緒にお節食べましょう、ヨーグルトを食べるといいよ(え、風邪にヨーグルト?)、元気出してね、といって気遣ってくれる仲間に囲まれて、自分って幸せだなあと身にしみて感じております。


未来はいつも未知で魅力的。両手を広げて迎えてみたいです。まあ今の超お騒がせ共同生活の仲間達と、東京にいる10年来の仲間達と、家族と、ロンドンで出会って今は世界中に散らばる友達と一緒にひも解く未来は、怖いものなしって感じでしょうか。なにせ皆さん既に濃くて渋くて図太く繊細でいい味出していますから(えっ私も?)。さらに濃くて渋くて図太くねちっこく繊細で美しい未来は大歓迎です。


今年もどうぞよろしくお願いします。
ひとまず風邪を治して元気にブログを綴って行きたいと思います。