26 Sept 2011

アドレス移行のお知らせ

Website のリニューアルを経て、このたびブログの方のアドレスを変更しました。
今までここで載せてきたポストもほぼ全部そのまま引っ越しましたが、これからは以下のアドレスでお願いします。http://moesuzuki.blogspot.com
ブログのfollowerになっている方も、ぜひ新しいアドレスでまた登録してくださると幸いです。

これからも写真と「ぶつぶつ(MumbleMumble)」と絵を載せていくのでどうぞよろしくお願いします。
http://togenkolife.blogspot.comの方は近日中閉鎖する予定です。

25 Sept 2011

生き物たち

生きもの三部作が完成しました。
大きい作品はwebのポートフォリオにupされる予定です。

13 Sept 2011

New Website

新しいデザインとポートフォリオでMoe Suzuki Illustrationsが更新されました。
是非ご覧下さい。


現在イラストの方で就職活動中です。
こちらのブログもウェブサイトと近々リンクする予定です。
どうぞよろしくお願いします。

4 Aug 2011

夏の日差し

しばらくブログが途絶えていますが、現在イラストの方のホームページをリニューアル中ですので、そちらに専念させてもらっています。ホームページは8月下旬に再オープンの予定です。
その際にはまたこちらでもお知らせします。
ロンドンは久しぶりに暑い日が2,3日続いたなあと思ったら今日は雨模様の寒い日です。
日本にスカイプ中に聞こえてきた蝉の声が、あー夏ってこうだったけ、と何となく懐かしい思い。

 

24 Jun 2011

スロヴェニア編ー小さな国の密度

スロヴェニアという、ほとんどの人にとっては「名前聞いたことあったような…」という感じのマイナー(こういっちゃ失礼だが)な国を訪れてみた。

というのもかつてのロンドンでの同僚がスロヴェニアに渡って寿司を握っているから!人生色々あるよね、とうなずきつつも、この機会を逃したら絶対きっと一生訪れること無いかも…と思ったこの国に私は惚れました。

静岡県サイズ、人口200万人、建国30周年、在留邦人20人ちょい、というミニ新国家は、小さいなりの密度の濃さでおもしろさ満載。首都リュブリャーナの中心広場から3分歩くと「村」があり畑が広がるという、のどかさ。元ソ連の灰色の公団満載かと思いきや、そこまで社会主義の面影は濃くなく、明るく開けていました。そして夜中歩いていてものどか、平和!至って平和!
ヴェネチアから電車で4時間半。アドリア海に出れば国が小さいので、海岸線沿いに右手にイタリア、オーストリアのアルプス、左手にクロアチアが広がる…という素敵な所。北にバスで1時間半出れば本場アルプスの最南端ジュリアンアルプス。

そんな国での体験は
アメリカ大使館邸で歌を歌ってお昼
イエズス会士とスロヴェニアの建築の歴史巡り
ハンター‘s dish (猟師の食事盛り合わせ、あらゆる山の肉…)
世界一大きい地下渓谷が広がる鍾乳洞探検
アドリア海の夕日
首都散歩(だいたい2時間あれば終わるのである)
岩壁にスニーカーでちょっとしがみつく
夕飯作り
ジュリアンアルプスでジョギング
寿司ランチ
ケーキ盛りだくさん

でした。友達がロンドンにいた時から見違えてのびのびしていたので安心して、自分も元気をもらって帰ってきました。

(そしてその5日後には恐怖のアメリカ出張が待ち受けていたのであった…)
明日からちょっと湖水地方に行ってきます。こうやってまだ書いていない旅行記がどんどんどんどんたまっていくんだわ…。









21 Jun 2011

派手さの空しさ

旅の記憶にまた戻ってーベネチア編、派手さの空しさー。


ベネチアに行く朝もメトロが事故かなにかで運転見合わせになり、焦りながらセントラーレから飛び乗った電車も、もちろん定時に出発する訳なんか無く。なんだか2日前とのほとんどデジャブ状態で出発。
 道中目の前に座っていた老婦人は、あーイタリアのお金持ちを絵に描いたようなエレガントな英語の上手な女性でした。邦題はわからないけど、ティルダスウィントン主演の「I am Love」に出てきそうな金持ち女性。ところでこの映画はとてもきれいな映画です。要するにどうってこと無い不倫ものなんだけど。

ベネチアではベネチアにかつて住んでいた大学時代の友達と共に一日を過ごす。自分だけだったら絶対迷っているであろう小道を、 彼女は人ごみを微妙にかわしつつすいすいと進んでいくのだ。とてもその姿がきれいだったりする。その後ろを身長差マイナス20−15cmぐらいのちびの自分がくっついていく感じ。

この日のお目当ては安藤忠雄が昔の関所を改装して最近オープンしたらしい、Punta della Dogana. 現代美術館。サーチコレクションをちょっと静かにした感じのキュレーティング。初めてPaul MccarthyとかEdward Kienholzとか、大学時代のレクチャーの教材系に初めてお目にかかったど別にどうってことなく…

と本当はちゃんと書くつもりでしたが新たに別の友達がお母さんが病気の事態を受け緊急帰国、イギリス人の友達に喉頭がんが見つかる、共同生活仲間は未だ集中治療室回復せずということで精神的な余裕が狭くなっているので写真だけupしておきます。本当に毎日、毎日ちゃんと生きてきたい。

17 Jun 2011

emigrating

ベネチア編を書く予定でしたが…ちょっと横道にそれて。

また一人大切な友達が明日ロンドンを去ります。
昨日その彼が夏にブルキナファソに行っている間にロンドンに置いておく荷物を預けにきました。これは詩の本、これはロッククライミングの本、これはドリス=レシング の小説、これは湖水地方の地図…と色々解説付きで置いていってくれました。夏の間本に困ることは無さそう。

友達に別れを言うことほどつらいことはないです。

その友達との別れを思って見つけた詩。


For My Sister, Emigrating
Wendy Cope

You've left with me
the things you couldn't take
or bear to give away-
books, records and a biscuit-tin
that Nanna gave you.

It's old and dirty
and the lid won't fit.
Standing in a corner of my room,
quite useless, its' as touching
as a once loved toy.

Yes, sentimental now-
but if you'd stayed,
we would have quarrelled 
just the same as ever,
found excuses not to phone.

We never learn. We've grown up
struggling, frightene
that the family would drown us,
only giving in to love
when someone's dead or gone.




もう一人の共同生活の仲間は先週末から危篤状態です。こういう時は本当につらいね。

14 Jun 2011

旅の記憶 ーパリの焦りー

いつの間にか一ヶ月があっという間にどこかに行ってしまった。
5月はヨーロッパと北アメリカを飛び回っていました…のでちょっとづつ書いていこうと思います。



ヨーロッパはフランスーイタリアースロヴェニア…と行きは合計16時間の列車の旅、帰りは2時間の飛行機の旅。飛行機ってあっけないものだね、こう考えると。

パリはたったの6時間の滞在だったのですが、メトロの工事に引っかかり、
オルセー美術館の荷物検査の長蛇の列にたじたじになり(ディズニーランド並みとも言える)、ピカソ美術館に行ってみたものの閉館していて。無駄に5時間程があっという間に過ぎ、なんだかへとへとになりながら入ったマレ地区のカフェで、(外の)取っ手が壊れて閉じ込められる事態に発展。
ありがたいことに丁度扉の外に据わっていた女主人が何やかかんやら大騒ぎしながら、直してくれて出られたわけですが、この時点で一日一本だけのパリーミラノ直行TGV出発30分前!

あんなに走ったのはいつぶりか…。スロヴェニアの友達にたのまれてロンドンから買ってきたiPhone4(白いやつ)を小脇に抱えつつ(500ポンドしたので、その時点では命より大切であった…)。荷物をロッカーから取り出して、プラットホームまでダッシュして汗だらだらで飛び乗ったTGVは、「もちろん」定時に発車する訳無いんだわ。

隣に座っているイタリア人のお姉さんに本気で心配されながら、息きれ切れの10分後やっと列車の旅が始まった訳です。南下してからはずーっとローネアルプス川沿いにトリノまで、山間を走っていくきれいな列車の旅でした。向いのフランス人のおばあさんに、パリで買った生春巻きと家で作ってきた塩昆布おにぎりを食べる姿を穴があく程見つめられて、食堂車に避難したけれど。

夜の11時近くについたミラノではお馴染みの高校からの友達の家に泊まり、何をするでも無く路面電車に乗ってぶらぶらして、ご飯を作って二人で食べる…という1日。こうゆうのが一番幸せかなあ。

ベネチア編へ続く。

10 May 2011

そういえば、あったっけ。

ありましたね、結婚式。ケートさんお嫁に行っちゃった。
ケートの正式名がキャサリンであることを初めて知った私。
結婚式当日は仕事が休みにも関わらず、とてもさみしー昼間を過ごしました。
もんのすごく寂しかった…実を言うと。

というのもずっと「ロイヤルウェディング」どうでも良い、宣言をしていた私。フラットメイトがばたばたと家を出て行く音で目を覚めると、家は既にもぬけの殻。
かろうじて残っていたフラットメイトも10時30分頃に「中継始まっちゃう!」とあわてて出て行ってしまった。

取り残されて仕方なく朝ご飯食べながら、ラジオをつけると中継がちょうど始まる所。
で、オンラインテレビで(私テレビ無いんだわ)中継を見始め、
王子の禿げ具合に見入って、ケートさんの美しさと、しかし29歳にしてはかなり深い皺に見入って苦労が多いんだろうな、と思いを巡らし、
花嫁の妹かわいいなあ、と関心したところで、
ひとまずつまらなくなるわけです。

テレビ観ながら家にいることが大の苦手な私は、外に出たい症候群にかられ
自転車に乗って飛び出してみたものの…
街中人っ子一人いないではないか!!!
この時事態の重大性(?)を初めて思い知らされた私。 
みんな、家でテレビ中継観ているんだわ!!!
誰もサイクリングなんてしてないんだわ!!!

友達の家に行ってみたものの、みんなテレビに釘付け。
もう一人、かなりごりごりの共和主義を貫いていた友達は
絶対暇だろうと思って電話をかけてみた所、
なんと、なんと、
あれだけ王室の文句を垂れていた彼,
バッキンガムパレスまでバルコニーのお披露目を観に行っていましたよ。生で。

この日の夜は友達と前回のブログで書いたショーに行ったわけですが、
街で出会う人人、すれ違う人人、
本当にみんな幸せそうで、楽しげだった。
英国王室の魔法にみんなかかってしまったようです。不思議だね。
私はひたすら寂しかったけどさ…誰にも相手されないで。

私のこの日の大大ヒットはこの女の子。
ものすごい不機嫌で耳抑えっぱなし。正直なこの子は将来相当の大物になるであろう、と踏んだ私。
これぐらいの度胸で日々生きていきたいです。

2 May 2011

意味不明なパーティー


この前友達と行ってきたThe King and The Minotaurでは昔の馬屋が迷路のような展示空間に改造されていて、一角では羊を捌いて、挽いて、バーベキューしているお兄さんやら、ジャズバンドやら、踊り子さんがいたり。こうゆう所に来ると、いつも大学時代を思い出してしまう…。よくわからない、そして意味不明なことにウンチクを傾けたくなるこの雰囲気。
バーはウォッカトニックとジントニックしかないとても洒落た所で、天井から鎖でつる下げられた酒瓶からショットが出る仕組みになっていました。

今日朝テレビを付けたらオバマ大統領の演説の映像が流れていて、何だかパニック系のハリウッド映画のラストシーンを見ているようだった。(「我々は人類滅亡危機の苦しい時を乗り越え、生き延びた。これからは手と手を取り合い…」系の演説をいつもアメリカ大統領がする感じの)

ビンラディンが殺害されましたが、それを記念してパーティーをしている感覚は私には理解できない。
もちろん生きて捕まったら捕まえたでそれはもーう裁判やらセキュリティーやら政治やら、とてつもなく大変で危険で、お金がかかる訳だけど。
暗殺だからね。地球全体承認の暗殺。

 

子供用か…

28 Apr 2011

買いたい時が買い時

イギリス生活も後半年となった今、急に自転車が買いたくなってしまいました。
買いたい買いたい買いたい〜ほしい〜と、おもちゃ屋の前の路上でひっくり返ってだだをこねる子供のように唸っています。(そういう子、あんまりいないよね、最近?)


今まで人が使っていない自転車を約三台、そしておんぼろ女の子用自転車(11−12才用か。でも一応Raleigh.) 一台を乗り回してここ7、8年サバイバルしてきた私ですが、今の今になってちゃんとした自転車が欲しい。

今はイタリア人同僚がわざわざミラノから運んできたのに物置に見捨てられていた、DecathlonのHybridバイクを使っているのだけど、何しろ重い。いつもせこせこ漕いでいる横をロードバイクに颯爽と追い越されて悔しい思いをしていたわけです。
私もロード用の一段ギアの軽いやつが欲しい!欲しい!と急に火が付き、朝から晩までネット中を探しまわっているここ2日。

中古を買う予定なので、そこまでドーンとした買い物ではないにしろ後半年を残して買うというところにすごい思いがかかっています。買ったら毎日使います。そして盗難されないようにちゃんと管理します。 (目がぎらぎら)

思い立ったが吉日。今日は色々な自転車屋に電話をかけまくり在庫をチェックしたので結婚式の明日は自転車を買いに〜。朝7時起きで〜。結婚式なんてどうでもいいから自転車買います。そして中古自転車屋連はどうやら王政派が少ないらしくみんな朝から普通営業の模様。よかった。


思いが入れが強すぎて昨日は夢の中で自転車を買っていたよ。
それにしても、何でもっと早くに思い立って買わなかったのか…。ちょっと悲しい。
でも誕生日だったので、自分へのプレゼントと思ってみます。

20 Apr 2011

初夏(もう…)の日に

こんな決心をしました。

毎日毎日が大切です。


14 Apr 2011

旅振り返り

最近沢木耕太郎の「旅する力」を読み終えました。

氏の「深夜特急シリーズ」は確か大沢たかおが1996年にドラマ化したのを見たのをきっかけに一気に読み、それから10年以上たった今までもう何十回と読み直した本。イギリスに19歳の時に引っ越した時にも迷わず持ってきた3冊。

そんな深夜特急の世界に憧れ、日本の外の世界に憧れ、いつのまにか日本を離れて人生の3分の1程を過ごしてしまいました。早い。
16歳の時に初めてイギリスに来て、英語もままならないまま、母ちゃんと雨のロンドンをうろうろして、その時に何となく「あー私外国でもやってけるわ…」と何とまあいっちょまえに思っていた私。
その後の9月11日のNYテロの翌日、高校の世界史がちょっとしたディベートの場になり、外国人生徒や帰国生が混じっていたクラスでは、自分では想像もつかない他の人の強烈な意見に圧倒され、あーこりゃあ日本から出てみにゃ何にも始まらん…と10年前の私は密かに思った訳です。今思い返すと笑っちゃう感じだけど、当時は真剣。留学を反対する父ちゃんにミカンを投げつけて来てしまいました。父ちゃんの意見は今で思えばもっとも正当で正しかった。しかし、来てしまったら来たなりの私の今までの生活も自分では正しい訳です。
それからというもの、コーンウォールで手漕ぎボートで沈没しかかり、シャルルドゴールでパスポートを無くしかけ、フランスローネ川沿いにキャンプしながら南下して、アイルランドを歩いて自転車に乗ってヒッチハイクしたり、イギリスからウクライナまで電車とバスを乗り継いで遥々訪ね、イタリアで大学生なりのぶらぶらをし、保険も予防接種も一切無しでバングラデシュに一ヶ月滞在し、その後フランスは仕事関係でもう何回も行ったり来たり。でも…未だにリゾート地でのんびり…豪華ホテルでのんびりというものを一度もやったことがない。

もう大学生じゃないんだからそろそろ次はベネチアのちょっとしたホテルでゆっくり…何て思っていましたが、結局実際に計画してみると人間そうそう5年や7年で変わらないもので、思いついたのはロンドンースロヴェニア列車の旅。5月に行ってきます。あ、そういや、自転車も持って行きたい…。でも帰りは飛行機だからだめか…。いやお金払って飛行機に乗せようかしら。 でも自転車バックがないから駄目か…、ミラノでは地下鉄に自転車を乗せられるのか…(無理そう)でもスロヴェニアで友達に売ればいいか(勝手)と夢は膨らむ一方。

出来るうちに色々と。 
写真はバングラ滞在中唯一撮った写真、彷徨ったヴェネチアとカルチャーショックが激しかったウクライナの結婚式。

10 Apr 2011

たまには人ごみに。

春よさらば


いつのまにか春が終わってしまいました。早い。桜もどんどん散っています。
ロンドン23度ぐらいの初夏の日が続いています。半裸状態の美しい乙女達がサンダルで闊歩しています。 
みんな気が早い。少しでも日に焼けようと、がんばっているイギリス人達。
少しでも日に焼けたくない,とがんばり始めた私。もうすぐ、27歳。最近疲れると翌朝ほうれい線が出るようになりました。そばかすも沢山。そして母がさかんに、(自分)27歳で結婚したわ… とつぶやくようになりました。そのつぶやきに隠された意味は如何に?
そんな「け」の気配もないロンドンの晩春生活です。

 

2 Apr 2011

Of Gods And Men



良い映画!と言える本当に良い映画を観てきました。
最近観た中で一番です。
日本で公開された際には是非。

イスラム原理派との内戦が始まったアルジェリアで、その地でずっと活動を続けてきたトラピストの修道院がフランスに帰るか、身の危険にさらされながら留まるかという決断を迫られる…というお話。実話が基になっています。 
丁度福島原発の問題で東京の外国大使館が次々に西に移動になり、
外国人がどんどん国外退避している時だったので、何とも言えない思いが見終わった後残りました。

4月の初め

の一ヶ月の間色々なことがありました。
とてもとてもブログなんぞ書く気になれず、さらに書く時間もなく、
結局一ヶ月経ってしまいました。

2月27日「思い立ったら吉日」状態で東京へ。友達に会い、家族に会い、おいしいご飯を食べ、
静岡の友達家族を訪ね(お客さんじゃなくて、もう家族の一員だから…)と言われ嬉しくなり、麻雀に初挑戦し、
長野の山を訪ね、一人スキーをし、伯父さん家族を訪ね、松本に住みたいなと思いを巡らし。

そして3月11日遅れた飛行機で午後一時過ぎに成田を出発。
それから12時間弱、映画を見て、ご飯食べて、うたたねして、
ロンドンに帰ってからのことを考えながら、今で思えば現実からかけ離れた空の空間にいました。
ロンドンヒースロー着陸と同時に入った機内放送。
英語で「東京の北で大地震、成田空港は閉鎖」に何が何だか分からないまま震える手で携帯をつけると、
ものすごい数の留守番メーッセージ、不在着信記録、メール。
すぐに実家にかけたものの、つながらない。
とにかく職場にかけると、もうすでに東京の実家に連絡済みでみんな無事とのこと。
それでも入国審査、荷物受け取りの1時間、ちゃんとした情報も無く やっと地下鉄に乗ると、
そこで初めて紙面の津波の報道と対面。
公共の場で涙がこんなに出るとは…Brixtonまでの道のりをずっと。
その夜はNHKを付けっぱなしにし、実家と話し、友達と話し…全然眠れない夜。
ついさっきまで日本にいて、そして今は遠く離れた、至って平和なロンドンにいる自分の体が、
落ち着かずに漂っている感じで、そのふわふわの体と頭もまた離脱しているようで、ちゃんと二本足で立てていない感覚がずっと続きました。

翌日から仕事に戻りましたが、
毎日仕事の合間に日本の報道と、BBCの報道を読み比べ、聞き比べ。実家に電話して様子を聞く、友達に連絡という日々。
「家族が無事ならそれでいいじゃない。なんでそんなに悲しんでいるの」と時には言われながら、
まわりにあまり日本人もいない孤立感、
悲しみと、不安と、混乱と、奇妙な罪悪感と、無力さがずっと渦巻いていました。

やっと最近になり、ロンドンで自分がやるべきことをきちんとやり毎日毎日ちゃんと生きて行くことが
自分の心の支えになり、東京の家族の心のちょっとした支えになり、そして周りの人たちのちょっとした支えにつながるのか…と感じるようになり、しっかりと二本足で日本から遠くは慣れた地ではあるけれど、立っております。


東京に帰る前に色々とあったあれやこれやの小さな不安も、何故か今は結構どうでもよく(あんまりどうでもよくないんだけど)
そんな不安にとらわれているよりも、今やるべきことをしっかりやろう、前向きな力に変わりました。


友達に萌は最近元気になった、そんな萌の影響で自分も元気で前向きになった、と言われました。
周りの大切の人を深く深く思っていると、
どうやらその深い深い思いが自分にも所々帰ってくるみたい。


ベルギー人おじいちゃんが被災者のことを思い、私の前で涙を流した日、
つられて涙が止まらない私を、イギリス人の知的障害者の男性が「大丈夫だよ」と慰めてくれたこと。
とてつもなくつらく悲しいことがあると、色んな人の一番心の深い部分が表面に出てくるようです。





25 Feb 2011

妊婦と歩く

昨日は妊娠5ヶ月の友達と散歩してきました。
鹿やら兎やら栗鼠やらと途中遭遇しました。
妊娠中は毎日3時間歩くといいのだそうです。
その彼女が明日香医院の写真集「いのちを産む」を持っていたので、
読ませてもらいました。泣いてしまった。
日本の友達からは「息子が歩いた!」のニュースあり。
いいねえ。命が沢山。

ところで、日本の父からスカイプがあり「山岳部は昔は文系だった!」とのこと。

21 Feb 2011

おたく達とともに

大人になればなるほど、人それぞれの生き方や考え方の違いがより意識するようになり、
大人になればなるほど、自分とかなり異なる人の集団との付き合いは減る…という感じかな。


しかし、
最近ひょんなことから自分と全く違う「種類」の人たちとの不思議な付き合いが増えました。
その違う「種類」とはつまり、ロンドンインペリアル大学の学生なわけです。
インペリアル大学とは言わずと知れた「ど」頭良い理系大学。そしてその中の大学生協の山岳部の皆々様です。

今まで知らなかったんだけど山に興味がある人は圧倒的に理系が多いんだとか。どの大学生協の山岳部でもメンバーになっている学生は理系が大半、歴史専攻、文学専攻がちらりといて、経済専攻、メディア専攻、油絵専攻、なんぞはまあ間違っても一人もいない…というのが一般的らしいです。(日本はどうだろう…)
なぜか、なぜでしょうか。どちらも男性比率が高い。それから道具を使う、というのがポイントだとか。
下の写真を見れば分かると思うけど、例えばロッククライミング(エイドクライミング)一つとっても、こんな沢山のギア(この場合ほとんど飾りか…)。単純に登山するだけでも、靴、防寒具、防水ジャケット、寝袋…なんだのかんだのと凝れば凝る程おたく度を掘り下げられる「道具」が沢山。要するに「おたく度」が良い具合に「理系」と「山岳部」の両方にシンクロするということでしょうか。もう目がきらきら。

実は先月始めにスコットランドで氷の壁を登ったのもこのインペリアル山岳部と一緒でした。そして先週末シェフィールドのピークディストリクトに行ったのが二回目。
道中、山登り中、食事中、にみんな(私以外)で盛り上がっていた話題を上げると:
  • 数独を独自に解決するアプリのプログラミング方法
  • プログラミングの新しい言語の違いについて
  • レーザーカッターの新技術についての討論
  • グーグル全体のプログラミングの把握
  • 新衛星の設計アイデア
  • カーボンナノファイバーの将来的、宇宙での活用方法。
など。
どれだけこのグループの中で私が「異人さん。いや、宇宙人さん…」であるかは火を見るよりも明らかですね。スコットランドの時はカルチャーショックすぎてでたじたじで、食事もろくにのどを通りませんでしたが、慣れてくると結構面白いもの。さらに彼らの(私にとっては)超非現実的な話に耳を傾けるのもなかなか楽しみを覚え始めました。こんな話題、滅多なことでは耳に挟むことはないので。

日本語の「おたく」に対する、英語で「geek」なるものがありますが、インペリアル山岳部はおたく中のおたくが集まったような集団なのでまた非現実度がかなりレベルアップ。私が「super geeks’geek」といつも嘆くのに構わず、みんなgeek度を披露していました。年が若ければ若い程、世の中であんまりすれてないので、おたく度が高いのですね。好ましいおたく度です。とても純粋だなあ、と。

そんな好ましいおたく君達と山に登って、ロッククライミングしてきた私。楽しかった!自分ってとても順応性が高いんだわ、と勝手に自身をつけて帰ってきました。
宇宙人の私にも大変優しいおたく君達でした。私が芸術学部写真科卒だ、と言ったら「そんな学問があるんだ…」という顔をしていましたが。
 私がクライミング中落下した時も(もちろんロープあり)みんな下から色々指導してくれて無事に上まで行けました。御陰さまで手はこんなになりましたが。