28 Apr 2011

買いたい時が買い時

イギリス生活も後半年となった今、急に自転車が買いたくなってしまいました。
買いたい買いたい買いたい〜ほしい〜と、おもちゃ屋の前の路上でひっくり返ってだだをこねる子供のように唸っています。(そういう子、あんまりいないよね、最近?)


今まで人が使っていない自転車を約三台、そしておんぼろ女の子用自転車(11−12才用か。でも一応Raleigh.) 一台を乗り回してここ7、8年サバイバルしてきた私ですが、今の今になってちゃんとした自転車が欲しい。

今はイタリア人同僚がわざわざミラノから運んできたのに物置に見捨てられていた、DecathlonのHybridバイクを使っているのだけど、何しろ重い。いつもせこせこ漕いでいる横をロードバイクに颯爽と追い越されて悔しい思いをしていたわけです。
私もロード用の一段ギアの軽いやつが欲しい!欲しい!と急に火が付き、朝から晩までネット中を探しまわっているここ2日。

中古を買う予定なので、そこまでドーンとした買い物ではないにしろ後半年を残して買うというところにすごい思いがかかっています。買ったら毎日使います。そして盗難されないようにちゃんと管理します。 (目がぎらぎら)

思い立ったが吉日。今日は色々な自転車屋に電話をかけまくり在庫をチェックしたので結婚式の明日は自転車を買いに〜。朝7時起きで〜。結婚式なんてどうでもいいから自転車買います。そして中古自転車屋連はどうやら王政派が少ないらしくみんな朝から普通営業の模様。よかった。


思いが入れが強すぎて昨日は夢の中で自転車を買っていたよ。
それにしても、何でもっと早くに思い立って買わなかったのか…。ちょっと悲しい。
でも誕生日だったので、自分へのプレゼントと思ってみます。

20 Apr 2011

初夏(もう…)の日に

こんな決心をしました。

毎日毎日が大切です。


14 Apr 2011

旅振り返り

最近沢木耕太郎の「旅する力」を読み終えました。

氏の「深夜特急シリーズ」は確か大沢たかおが1996年にドラマ化したのを見たのをきっかけに一気に読み、それから10年以上たった今までもう何十回と読み直した本。イギリスに19歳の時に引っ越した時にも迷わず持ってきた3冊。

そんな深夜特急の世界に憧れ、日本の外の世界に憧れ、いつのまにか日本を離れて人生の3分の1程を過ごしてしまいました。早い。
16歳の時に初めてイギリスに来て、英語もままならないまま、母ちゃんと雨のロンドンをうろうろして、その時に何となく「あー私外国でもやってけるわ…」と何とまあいっちょまえに思っていた私。
その後の9月11日のNYテロの翌日、高校の世界史がちょっとしたディベートの場になり、外国人生徒や帰国生が混じっていたクラスでは、自分では想像もつかない他の人の強烈な意見に圧倒され、あーこりゃあ日本から出てみにゃ何にも始まらん…と10年前の私は密かに思った訳です。今思い返すと笑っちゃう感じだけど、当時は真剣。留学を反対する父ちゃんにミカンを投げつけて来てしまいました。父ちゃんの意見は今で思えばもっとも正当で正しかった。しかし、来てしまったら来たなりの私の今までの生活も自分では正しい訳です。
それからというもの、コーンウォールで手漕ぎボートで沈没しかかり、シャルルドゴールでパスポートを無くしかけ、フランスローネ川沿いにキャンプしながら南下して、アイルランドを歩いて自転車に乗ってヒッチハイクしたり、イギリスからウクライナまで電車とバスを乗り継いで遥々訪ね、イタリアで大学生なりのぶらぶらをし、保険も予防接種も一切無しでバングラデシュに一ヶ月滞在し、その後フランスは仕事関係でもう何回も行ったり来たり。でも…未だにリゾート地でのんびり…豪華ホテルでのんびりというものを一度もやったことがない。

もう大学生じゃないんだからそろそろ次はベネチアのちょっとしたホテルでゆっくり…何て思っていましたが、結局実際に計画してみると人間そうそう5年や7年で変わらないもので、思いついたのはロンドンースロヴェニア列車の旅。5月に行ってきます。あ、そういや、自転車も持って行きたい…。でも帰りは飛行機だからだめか…。いやお金払って飛行機に乗せようかしら。 でも自転車バックがないから駄目か…、ミラノでは地下鉄に自転車を乗せられるのか…(無理そう)でもスロヴェニアで友達に売ればいいか(勝手)と夢は膨らむ一方。

出来るうちに色々と。 
写真はバングラ滞在中唯一撮った写真、彷徨ったヴェネチアとカルチャーショックが激しかったウクライナの結婚式。

10 Apr 2011

たまには人ごみに。

春よさらば


いつのまにか春が終わってしまいました。早い。桜もどんどん散っています。
ロンドン23度ぐらいの初夏の日が続いています。半裸状態の美しい乙女達がサンダルで闊歩しています。 
みんな気が早い。少しでも日に焼けようと、がんばっているイギリス人達。
少しでも日に焼けたくない,とがんばり始めた私。もうすぐ、27歳。最近疲れると翌朝ほうれい線が出るようになりました。そばかすも沢山。そして母がさかんに、(自分)27歳で結婚したわ… とつぶやくようになりました。そのつぶやきに隠された意味は如何に?
そんな「け」の気配もないロンドンの晩春生活です。

 

2 Apr 2011

Of Gods And Men



良い映画!と言える本当に良い映画を観てきました。
最近観た中で一番です。
日本で公開された際には是非。

イスラム原理派との内戦が始まったアルジェリアで、その地でずっと活動を続けてきたトラピストの修道院がフランスに帰るか、身の危険にさらされながら留まるかという決断を迫られる…というお話。実話が基になっています。 
丁度福島原発の問題で東京の外国大使館が次々に西に移動になり、
外国人がどんどん国外退避している時だったので、何とも言えない思いが見終わった後残りました。

4月の初め

の一ヶ月の間色々なことがありました。
とてもとてもブログなんぞ書く気になれず、さらに書く時間もなく、
結局一ヶ月経ってしまいました。

2月27日「思い立ったら吉日」状態で東京へ。友達に会い、家族に会い、おいしいご飯を食べ、
静岡の友達家族を訪ね(お客さんじゃなくて、もう家族の一員だから…)と言われ嬉しくなり、麻雀に初挑戦し、
長野の山を訪ね、一人スキーをし、伯父さん家族を訪ね、松本に住みたいなと思いを巡らし。

そして3月11日遅れた飛行機で午後一時過ぎに成田を出発。
それから12時間弱、映画を見て、ご飯食べて、うたたねして、
ロンドンに帰ってからのことを考えながら、今で思えば現実からかけ離れた空の空間にいました。
ロンドンヒースロー着陸と同時に入った機内放送。
英語で「東京の北で大地震、成田空港は閉鎖」に何が何だか分からないまま震える手で携帯をつけると、
ものすごい数の留守番メーッセージ、不在着信記録、メール。
すぐに実家にかけたものの、つながらない。
とにかく職場にかけると、もうすでに東京の実家に連絡済みでみんな無事とのこと。
それでも入国審査、荷物受け取りの1時間、ちゃんとした情報も無く やっと地下鉄に乗ると、
そこで初めて紙面の津波の報道と対面。
公共の場で涙がこんなに出るとは…Brixtonまでの道のりをずっと。
その夜はNHKを付けっぱなしにし、実家と話し、友達と話し…全然眠れない夜。
ついさっきまで日本にいて、そして今は遠く離れた、至って平和なロンドンにいる自分の体が、
落ち着かずに漂っている感じで、そのふわふわの体と頭もまた離脱しているようで、ちゃんと二本足で立てていない感覚がずっと続きました。

翌日から仕事に戻りましたが、
毎日仕事の合間に日本の報道と、BBCの報道を読み比べ、聞き比べ。実家に電話して様子を聞く、友達に連絡という日々。
「家族が無事ならそれでいいじゃない。なんでそんなに悲しんでいるの」と時には言われながら、
まわりにあまり日本人もいない孤立感、
悲しみと、不安と、混乱と、奇妙な罪悪感と、無力さがずっと渦巻いていました。

やっと最近になり、ロンドンで自分がやるべきことをきちんとやり毎日毎日ちゃんと生きて行くことが
自分の心の支えになり、東京の家族の心のちょっとした支えになり、そして周りの人たちのちょっとした支えにつながるのか…と感じるようになり、しっかりと二本足で日本から遠くは慣れた地ではあるけれど、立っております。


東京に帰る前に色々とあったあれやこれやの小さな不安も、何故か今は結構どうでもよく(あんまりどうでもよくないんだけど)
そんな不安にとらわれているよりも、今やるべきことをしっかりやろう、前向きな力に変わりました。


友達に萌は最近元気になった、そんな萌の影響で自分も元気で前向きになった、と言われました。
周りの大切の人を深く深く思っていると、
どうやらその深い深い思いが自分にも所々帰ってくるみたい。


ベルギー人おじいちゃんが被災者のことを思い、私の前で涙を流した日、
つられて涙が止まらない私を、イギリス人の知的障害者の男性が「大丈夫だよ」と慰めてくれたこと。
とてつもなくつらく悲しいことがあると、色んな人の一番心の深い部分が表面に出てくるようです。