30 Jan 2010

Gosberton Hotelの思い出②


かつての下宿先P氏の3階建て、ビクトリア時代の家は寝室が5つ。そこに下宿人が入ったり出て行ったりするものだから3年間住んでいるうちに色んな人たちと毎日の生活を共にしました。


ロンドンでは一部屋だけのフラットというのが高いので、学生や若い人たちはハウスシェアやフラットシェアで他の人たちと住むのが一般的。もちろん結婚していても貯金するためシェアしている人も要るし、貸家を又貸し、購入した家の一部を貸してローンにあてる、成人して家を出て行った子供部屋を貸す、など色んなところで部屋が借りられます。シェアの家でも隣に誰が住んでいるのかよくわからない…独立型シェアもあるし、友達同士で借りて共同生活というのもあるし。


P氏の家は、ご飯食べたり、パブ行ったり、出かけたり、ビデオ見たり…とみんなで色んなことを一緒にしてました。ある意味家庭的な共同生活で今の棘猫共同生活のいわば前身みたいなもの。でもやっぱり他人と一緒に住むって、楽しい分苦労も計り知れない。
みんながそれぞれ、これは許せん譲れん!というものがあり、それがお互いにうまい具合にシンクロしないとなかなか大変なことになるわけです。風呂の使い方から、食器の洗い方から、夜中のトイレ利用頻度具合から、お金の支払い、友達の連れて来方、交際関係、猫の世話の仕方、芝の刈り方、バナナの食べ頃の見極め方、自転車の止め方、鍵の開け方、お風呂のお湯加減…などなど。人それぞれが譲れない部分とはありとあらゆるとんでもない暮らしの細部まで幅広く存在するものです。で、意外とそれが何かは他人と暮らしてみるまでわからない。


でもそこを何とかお互い譲り合い共同生活を営むのですが、時々これは百歩譲っても絶対ありえないという人にも出会いますね。トイレットペーパー買ってきてくれるって頼んだら「F..k off! I'm to busy!」と逆切れされたこともあったなあ…。ある人が引っ越した後に部屋を片付けていたら大量のポルノ雑誌が発掘され、こっちが処分するはめになった…とか。今はいい思い出(か?)。


よくロンドンでは一番の親友とは家をシェアするな、と言われていますが、実際経験してみると何故駄目なのかよくわかります。結局見る必要なかった部分まで見るはめになるからね。家をシェアすることで人間関係にひびが入ったケースは二三件目撃しました。これは凄く痛い!特にお金が絡んでくる場合が多いので、関係は修復不可能になる場合が多いみたい。精神的苦痛も金銭的苦痛も味わうはめになるようです。


私は幸いにもそんなケースを免れ、お寿司屋さん、美容師さん、大学の友、そしてPと共同生活を営むことが出来ました。よかった。でもまだまだ続く共同生活…。2010年で共同生活7年目突入。もし10年目に突入したら共同生活エキスパートの仲間入りか。攻略本出そうかな。


現在のP氏の共同生活の友、ビンブルちゃん。

No comments:

Post a Comment