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17 Jun 2011

emigrating

ベネチア編を書く予定でしたが…ちょっと横道にそれて。

また一人大切な友達が明日ロンドンを去ります。
昨日その彼が夏にブルキナファソに行っている間にロンドンに置いておく荷物を預けにきました。これは詩の本、これはロッククライミングの本、これはドリス=レシング の小説、これは湖水地方の地図…と色々解説付きで置いていってくれました。夏の間本に困ることは無さそう。

友達に別れを言うことほどつらいことはないです。

その友達との別れを思って見つけた詩。


For My Sister, Emigrating
Wendy Cope

You've left with me
the things you couldn't take
or bear to give away-
books, records and a biscuit-tin
that Nanna gave you.

It's old and dirty
and the lid won't fit.
Standing in a corner of my room,
quite useless, its' as touching
as a once loved toy.

Yes, sentimental now-
but if you'd stayed,
we would have quarrelled 
just the same as ever,
found excuses not to phone.

We never learn. We've grown up
struggling, frightene
that the family would drown us,
only giving in to love
when someone's dead or gone.




もう一人の共同生活の仲間は先週末から危篤状態です。こういう時は本当につらいね。

10 May 2011

そういえば、あったっけ。

ありましたね、結婚式。ケートさんお嫁に行っちゃった。
ケートの正式名がキャサリンであることを初めて知った私。
結婚式当日は仕事が休みにも関わらず、とてもさみしー昼間を過ごしました。
もんのすごく寂しかった…実を言うと。

というのもずっと「ロイヤルウェディング」どうでも良い、宣言をしていた私。フラットメイトがばたばたと家を出て行く音で目を覚めると、家は既にもぬけの殻。
かろうじて残っていたフラットメイトも10時30分頃に「中継始まっちゃう!」とあわてて出て行ってしまった。

取り残されて仕方なく朝ご飯食べながら、ラジオをつけると中継がちょうど始まる所。
で、オンラインテレビで(私テレビ無いんだわ)中継を見始め、
王子の禿げ具合に見入って、ケートさんの美しさと、しかし29歳にしてはかなり深い皺に見入って苦労が多いんだろうな、と思いを巡らし、
花嫁の妹かわいいなあ、と関心したところで、
ひとまずつまらなくなるわけです。

テレビ観ながら家にいることが大の苦手な私は、外に出たい症候群にかられ
自転車に乗って飛び出してみたものの…
街中人っ子一人いないではないか!!!
この時事態の重大性(?)を初めて思い知らされた私。 
みんな、家でテレビ中継観ているんだわ!!!
誰もサイクリングなんてしてないんだわ!!!

友達の家に行ってみたものの、みんなテレビに釘付け。
もう一人、かなりごりごりの共和主義を貫いていた友達は
絶対暇だろうと思って電話をかけてみた所、
なんと、なんと、
あれだけ王室の文句を垂れていた彼,
バッキンガムパレスまでバルコニーのお披露目を観に行っていましたよ。生で。

この日の夜は友達と前回のブログで書いたショーに行ったわけですが、
街で出会う人人、すれ違う人人、
本当にみんな幸せそうで、楽しげだった。
英国王室の魔法にみんなかかってしまったようです。不思議だね。
私はひたすら寂しかったけどさ…誰にも相手されないで。

私のこの日の大大ヒットはこの女の子。
ものすごい不機嫌で耳抑えっぱなし。正直なこの子は将来相当の大物になるであろう、と踏んだ私。
これぐらいの度胸で日々生きていきたいです。

2 May 2011

意味不明なパーティー


この前友達と行ってきたThe King and The Minotaurでは昔の馬屋が迷路のような展示空間に改造されていて、一角では羊を捌いて、挽いて、バーベキューしているお兄さんやら、ジャズバンドやら、踊り子さんがいたり。こうゆう所に来ると、いつも大学時代を思い出してしまう…。よくわからない、そして意味不明なことにウンチクを傾けたくなるこの雰囲気。
バーはウォッカトニックとジントニックしかないとても洒落た所で、天井から鎖でつる下げられた酒瓶からショットが出る仕組みになっていました。

今日朝テレビを付けたらオバマ大統領の演説の映像が流れていて、何だかパニック系のハリウッド映画のラストシーンを見ているようだった。(「我々は人類滅亡危機の苦しい時を乗り越え、生き延びた。これからは手と手を取り合い…」系の演説をいつもアメリカ大統領がする感じの)

ビンラディンが殺害されましたが、それを記念してパーティーをしている感覚は私には理解できない。
もちろん生きて捕まったら捕まえたでそれはもーう裁判やらセキュリティーやら政治やら、とてつもなく大変で危険で、お金がかかる訳だけど。
暗殺だからね。地球全体承認の暗殺。

 

子供用か…

28 Apr 2011

買いたい時が買い時

イギリス生活も後半年となった今、急に自転車が買いたくなってしまいました。
買いたい買いたい買いたい〜ほしい〜と、おもちゃ屋の前の路上でひっくり返ってだだをこねる子供のように唸っています。(そういう子、あんまりいないよね、最近?)


今まで人が使っていない自転車を約三台、そしておんぼろ女の子用自転車(11−12才用か。でも一応Raleigh.) 一台を乗り回してここ7、8年サバイバルしてきた私ですが、今の今になってちゃんとした自転車が欲しい。

今はイタリア人同僚がわざわざミラノから運んできたのに物置に見捨てられていた、DecathlonのHybridバイクを使っているのだけど、何しろ重い。いつもせこせこ漕いでいる横をロードバイクに颯爽と追い越されて悔しい思いをしていたわけです。
私もロード用の一段ギアの軽いやつが欲しい!欲しい!と急に火が付き、朝から晩までネット中を探しまわっているここ2日。

中古を買う予定なので、そこまでドーンとした買い物ではないにしろ後半年を残して買うというところにすごい思いがかかっています。買ったら毎日使います。そして盗難されないようにちゃんと管理します。 (目がぎらぎら)

思い立ったが吉日。今日は色々な自転車屋に電話をかけまくり在庫をチェックしたので結婚式の明日は自転車を買いに〜。朝7時起きで〜。結婚式なんてどうでもいいから自転車買います。そして中古自転車屋連はどうやら王政派が少ないらしくみんな朝から普通営業の模様。よかった。


思いが入れが強すぎて昨日は夢の中で自転車を買っていたよ。
それにしても、何でもっと早くに思い立って買わなかったのか…。ちょっと悲しい。
でも誕生日だったので、自分へのプレゼントと思ってみます。

20 Apr 2011

初夏(もう…)の日に

こんな決心をしました。

毎日毎日が大切です。


14 Apr 2011

旅振り返り

最近沢木耕太郎の「旅する力」を読み終えました。

氏の「深夜特急シリーズ」は確か大沢たかおが1996年にドラマ化したのを見たのをきっかけに一気に読み、それから10年以上たった今までもう何十回と読み直した本。イギリスに19歳の時に引っ越した時にも迷わず持ってきた3冊。

そんな深夜特急の世界に憧れ、日本の外の世界に憧れ、いつのまにか日本を離れて人生の3分の1程を過ごしてしまいました。早い。
16歳の時に初めてイギリスに来て、英語もままならないまま、母ちゃんと雨のロンドンをうろうろして、その時に何となく「あー私外国でもやってけるわ…」と何とまあいっちょまえに思っていた私。
その後の9月11日のNYテロの翌日、高校の世界史がちょっとしたディベートの場になり、外国人生徒や帰国生が混じっていたクラスでは、自分では想像もつかない他の人の強烈な意見に圧倒され、あーこりゃあ日本から出てみにゃ何にも始まらん…と10年前の私は密かに思った訳です。今思い返すと笑っちゃう感じだけど、当時は真剣。留学を反対する父ちゃんにミカンを投げつけて来てしまいました。父ちゃんの意見は今で思えばもっとも正当で正しかった。しかし、来てしまったら来たなりの私の今までの生活も自分では正しい訳です。
それからというもの、コーンウォールで手漕ぎボートで沈没しかかり、シャルルドゴールでパスポートを無くしかけ、フランスローネ川沿いにキャンプしながら南下して、アイルランドを歩いて自転車に乗ってヒッチハイクしたり、イギリスからウクライナまで電車とバスを乗り継いで遥々訪ね、イタリアで大学生なりのぶらぶらをし、保険も予防接種も一切無しでバングラデシュに一ヶ月滞在し、その後フランスは仕事関係でもう何回も行ったり来たり。でも…未だにリゾート地でのんびり…豪華ホテルでのんびりというものを一度もやったことがない。

もう大学生じゃないんだからそろそろ次はベネチアのちょっとしたホテルでゆっくり…何て思っていましたが、結局実際に計画してみると人間そうそう5年や7年で変わらないもので、思いついたのはロンドンースロヴェニア列車の旅。5月に行ってきます。あ、そういや、自転車も持って行きたい…。でも帰りは飛行機だからだめか…。いやお金払って飛行機に乗せようかしら。 でも自転車バックがないから駄目か…、ミラノでは地下鉄に自転車を乗せられるのか…(無理そう)でもスロヴェニアで友達に売ればいいか(勝手)と夢は膨らむ一方。

出来るうちに色々と。 
写真はバングラ滞在中唯一撮った写真、彷徨ったヴェネチアとカルチャーショックが激しかったウクライナの結婚式。

10 Apr 2011

春よさらば


いつのまにか春が終わってしまいました。早い。桜もどんどん散っています。
ロンドン23度ぐらいの初夏の日が続いています。半裸状態の美しい乙女達がサンダルで闊歩しています。 
みんな気が早い。少しでも日に焼けようと、がんばっているイギリス人達。
少しでも日に焼けたくない,とがんばり始めた私。もうすぐ、27歳。最近疲れると翌朝ほうれい線が出るようになりました。そばかすも沢山。そして母がさかんに、(自分)27歳で結婚したわ… とつぶやくようになりました。そのつぶやきに隠された意味は如何に?
そんな「け」の気配もないロンドンの晩春生活です。

 

2 Apr 2011

Of Gods And Men



良い映画!と言える本当に良い映画を観てきました。
最近観た中で一番です。
日本で公開された際には是非。

イスラム原理派との内戦が始まったアルジェリアで、その地でずっと活動を続けてきたトラピストの修道院がフランスに帰るか、身の危険にさらされながら留まるかという決断を迫られる…というお話。実話が基になっています。 
丁度福島原発の問題で東京の外国大使館が次々に西に移動になり、
外国人がどんどん国外退避している時だったので、何とも言えない思いが見終わった後残りました。

4月の初め

の一ヶ月の間色々なことがありました。
とてもとてもブログなんぞ書く気になれず、さらに書く時間もなく、
結局一ヶ月経ってしまいました。

2月27日「思い立ったら吉日」状態で東京へ。友達に会い、家族に会い、おいしいご飯を食べ、
静岡の友達家族を訪ね(お客さんじゃなくて、もう家族の一員だから…)と言われ嬉しくなり、麻雀に初挑戦し、
長野の山を訪ね、一人スキーをし、伯父さん家族を訪ね、松本に住みたいなと思いを巡らし。

そして3月11日遅れた飛行機で午後一時過ぎに成田を出発。
それから12時間弱、映画を見て、ご飯食べて、うたたねして、
ロンドンに帰ってからのことを考えながら、今で思えば現実からかけ離れた空の空間にいました。
ロンドンヒースロー着陸と同時に入った機内放送。
英語で「東京の北で大地震、成田空港は閉鎖」に何が何だか分からないまま震える手で携帯をつけると、
ものすごい数の留守番メーッセージ、不在着信記録、メール。
すぐに実家にかけたものの、つながらない。
とにかく職場にかけると、もうすでに東京の実家に連絡済みでみんな無事とのこと。
それでも入国審査、荷物受け取りの1時間、ちゃんとした情報も無く やっと地下鉄に乗ると、
そこで初めて紙面の津波の報道と対面。
公共の場で涙がこんなに出るとは…Brixtonまでの道のりをずっと。
その夜はNHKを付けっぱなしにし、実家と話し、友達と話し…全然眠れない夜。
ついさっきまで日本にいて、そして今は遠く離れた、至って平和なロンドンにいる自分の体が、
落ち着かずに漂っている感じで、そのふわふわの体と頭もまた離脱しているようで、ちゃんと二本足で立てていない感覚がずっと続きました。

翌日から仕事に戻りましたが、
毎日仕事の合間に日本の報道と、BBCの報道を読み比べ、聞き比べ。実家に電話して様子を聞く、友達に連絡という日々。
「家族が無事ならそれでいいじゃない。なんでそんなに悲しんでいるの」と時には言われながら、
まわりにあまり日本人もいない孤立感、
悲しみと、不安と、混乱と、奇妙な罪悪感と、無力さがずっと渦巻いていました。

やっと最近になり、ロンドンで自分がやるべきことをきちんとやり毎日毎日ちゃんと生きて行くことが
自分の心の支えになり、東京の家族の心のちょっとした支えになり、そして周りの人たちのちょっとした支えにつながるのか…と感じるようになり、しっかりと二本足で日本から遠くは慣れた地ではあるけれど、立っております。


東京に帰る前に色々とあったあれやこれやの小さな不安も、何故か今は結構どうでもよく(あんまりどうでもよくないんだけど)
そんな不安にとらわれているよりも、今やるべきことをしっかりやろう、前向きな力に変わりました。


友達に萌は最近元気になった、そんな萌の影響で自分も元気で前向きになった、と言われました。
周りの大切の人を深く深く思っていると、
どうやらその深い深い思いが自分にも所々帰ってくるみたい。


ベルギー人おじいちゃんが被災者のことを思い、私の前で涙を流した日、
つられて涙が止まらない私を、イギリス人の知的障害者の男性が「大丈夫だよ」と慰めてくれたこと。
とてつもなくつらく悲しいことがあると、色んな人の一番心の深い部分が表面に出てくるようです。





25 Feb 2011

妊婦と歩く

昨日は妊娠5ヶ月の友達と散歩してきました。
鹿やら兎やら栗鼠やらと途中遭遇しました。
妊娠中は毎日3時間歩くといいのだそうです。
その彼女が明日香医院の写真集「いのちを産む」を持っていたので、
読ませてもらいました。泣いてしまった。
日本の友達からは「息子が歩いた!」のニュースあり。
いいねえ。命が沢山。

ところで、日本の父からスカイプがあり「山岳部は昔は文系だった!」とのこと。

21 Feb 2011

おたく達とともに

大人になればなるほど、人それぞれの生き方や考え方の違いがより意識するようになり、
大人になればなるほど、自分とかなり異なる人の集団との付き合いは減る…という感じかな。


しかし、
最近ひょんなことから自分と全く違う「種類」の人たちとの不思議な付き合いが増えました。
その違う「種類」とはつまり、ロンドンインペリアル大学の学生なわけです。
インペリアル大学とは言わずと知れた「ど」頭良い理系大学。そしてその中の大学生協の山岳部の皆々様です。

今まで知らなかったんだけど山に興味がある人は圧倒的に理系が多いんだとか。どの大学生協の山岳部でもメンバーになっている学生は理系が大半、歴史専攻、文学専攻がちらりといて、経済専攻、メディア専攻、油絵専攻、なんぞはまあ間違っても一人もいない…というのが一般的らしいです。(日本はどうだろう…)
なぜか、なぜでしょうか。どちらも男性比率が高い。それから道具を使う、というのがポイントだとか。
下の写真を見れば分かると思うけど、例えばロッククライミング(エイドクライミング)一つとっても、こんな沢山のギア(この場合ほとんど飾りか…)。単純に登山するだけでも、靴、防寒具、防水ジャケット、寝袋…なんだのかんだのと凝れば凝る程おたく度を掘り下げられる「道具」が沢山。要するに「おたく度」が良い具合に「理系」と「山岳部」の両方にシンクロするということでしょうか。もう目がきらきら。

実は先月始めにスコットランドで氷の壁を登ったのもこのインペリアル山岳部と一緒でした。そして先週末シェフィールドのピークディストリクトに行ったのが二回目。
道中、山登り中、食事中、にみんな(私以外)で盛り上がっていた話題を上げると:
  • 数独を独自に解決するアプリのプログラミング方法
  • プログラミングの新しい言語の違いについて
  • レーザーカッターの新技術についての討論
  • グーグル全体のプログラミングの把握
  • 新衛星の設計アイデア
  • カーボンナノファイバーの将来的、宇宙での活用方法。
など。
どれだけこのグループの中で私が「異人さん。いや、宇宙人さん…」であるかは火を見るよりも明らかですね。スコットランドの時はカルチャーショックすぎてでたじたじで、食事もろくにのどを通りませんでしたが、慣れてくると結構面白いもの。さらに彼らの(私にとっては)超非現実的な話に耳を傾けるのもなかなか楽しみを覚え始めました。こんな話題、滅多なことでは耳に挟むことはないので。

日本語の「おたく」に対する、英語で「geek」なるものがありますが、インペリアル山岳部はおたく中のおたくが集まったような集団なのでまた非現実度がかなりレベルアップ。私が「super geeks’geek」といつも嘆くのに構わず、みんなgeek度を披露していました。年が若ければ若い程、世の中であんまりすれてないので、おたく度が高いのですね。好ましいおたく度です。とても純粋だなあ、と。

そんな好ましいおたく君達と山に登って、ロッククライミングしてきた私。楽しかった!自分ってとても順応性が高いんだわ、と勝手に自身をつけて帰ってきました。
宇宙人の私にも大変優しいおたく君達でした。私が芸術学部写真科卒だ、と言ったら「そんな学問があるんだ…」という顔をしていましたが。
 私がクライミング中落下した時も(もちろんロープあり)みんな下から色々指導してくれて無事に上まで行けました。御陰さまで手はこんなになりましたが。

3 Feb 2011

幾何学的波動

Junipのライブに行って来ました。
(そして自分の背の低さを痛い程思い知った。 )
朝から泣いてばかりの日でしたがライブの後は友達と喜びの雄叫び。

最初の2曲程サウンドシステムがいまいちだったのだけど、その後調整されたみたいで
Junip特有の幾何学的波動に体を委ねてきました。サイコー。
頭の中に浮かんだイメージは、規則正しいパッチワークのパターンが広がっていく様子。それからミシン。なぜか。

そしてヴォーカルのジョーゼゴンザレス氏。格好良かった。
髭。

この調子で次の日もがんばれるかと思ったがまた泣きの日でした。
でも色んな人が慰めてくれた。gracious, generous, gifted personと。ありがたや。
一日一日その日の栄養を取りつつ生きていこう。

30 Jan 2011

さらば友よ。

3年前職場で出会った友達。
2年半前に担当の家が一緒になってからは特に、涙も笑いも共にしてきた人。
最初はお互いのものすごい訛りのある英語に
なかなか意思疎通も思う通りにいかなかったけど、
一度心が通ってからは言葉なんか問題じゃない。
東欧組が圧倒的なチームの中、二人で踏ん張ってアジア組を作り
飲みチームを結成し、独り者チームを結成し、
アジア人としての勤労な(?)性格を土台に家の仕事を二人でこなし
そして他のチーム仲間の仕事しなささ具合を愚痴言い合い、
時にはお互いにいらいらして
去年の7月からは住む家もシェアするようになり、
一緒に庭仕事に励んだり、ペンキ塗りに励んだり。
私が付き合うの別れたの…とやっているのを励ましもせず、批判もせず、
それでいいだよ、といつも言ってくれて。
私がしょっちゅう風邪引くと面倒見てくれて、
新型インフルにめでたくかかった時もまめに差し入れしてくれて、
あっちが30歳で水疱瘡に感染した時には(!)
自分も感染覚悟で差し入れ(結局その後予防注射をしていた事実が判明したが)
一緒に超ローカルインド料理を食べにいき、
料理して、
踊りにいって、
酒飲んで、
沢山笑って、
3年間過ごしてきました。

そんな友達は火曜日に本帰国。その後カナダに転勤です。
良い出会いあれば、それだけつらい別れがある、と。
私の愚痴聞き相手のドイツ人姉さんの言葉を借りれば
'if you dare to love someone, be prepared for grief.' というところ。

さみしくなるなあ。
そしてその2週間後にはまた別の一番仲良い友達がアメリカへ本帰国。
とにかくこの3人で今まで一緒に何だかんだやってきて、
近すぎず遠すぎずの関係ははなかなかの良い組み合わせだったのだよ。

イギリスは不景気で外国人帰国ラッシュ(全体的にはわからないけど、私の周りは確実に) 。
お別れだらけの年が始まりました。

21 Jan 2011

誰と行ったの?

「映画に行ってきた。」と言うと、イギリス人はよく「誰と行ったの?」と聞いてきます。
イギリス人は…というのは気のせいでしょうか。日本人に聞かれたことはないのですが。友達や家族を思い出してみても、一人で行く人は少数派。そして圧倒的に日本人の女性が多いです!なぜ?

世界中映画に行く人間は以下のグループのどれかに属するかと思われます。
1「映画は誰かと行かなくちゃ駄目!」グループ。
2「映画は一人で行っても別に平気」グループ。
3「映画は一人で行かなくちゃ駄目!」グループ。

2番のグループに属する私は昨日「Uncle Boonmee who can recall his past lives」を観に行ってきました。上の2番グループと3番グループに属すると思われる人間が大半でした。しかし木曜日の午後3時から映画に来ている人間ってどういう仕事してるんだろう…と(自分のことを棚に上げ)人間観察してしまいました。フリーランス系/リタイア族/学生/無職(ホームレスっぽいおじちゃんも一人)/シフトで働く職業系…といった感じでしょうか。

邦題はまだ無いよう。カンヌに出品されたタイ映画です。予想通り、全く何も大して起こらないアジアの芸術映画でした。でもちょっと笑いあり、ホラーあり。そしてとにかく映像がきれいだった。緑と青を濃くしていて、 何とも懐かさを思い起こさせる映像でした。猩々を思い起こさせる生き物が沢山出てきました。タイ共産党ゲリラ掃討を思い起こさせるような暗示も結構ありました。日本で公開される場合はぜひ。でも…本当に大して何も起こらなく、たんたんと進むタイプの映画です。


最近見たい映画が沢山あります。一人でも良いグループなのでどんどん暇を見つけて行くつもり。

16 Jan 2011

クリスマスツリー哀歌

毎年新年になると、道に捨てられ自治体の回収を待つお寂しクリスマスツリー達よ。
哀愁が町中に漂うのですが、しかし、ここまですごいとちょっと哀愁より笑いだろう。 
思わず仕事中に家を抜け出し写真撮りにいってしまった野次馬。

12 Jan 2011

ミラネーゼと正月を。お茶漬け付き。

クリスマス、正月と高校の同窓生4人とそのうち一人のおくさんがロンドンに集まりました。みんなのこれからの計画を色々と聞きながら、色々な人生のあり方にひたひたと興奮して、元旦になぜかお茶漬けなどをしてみました。なぜ。
色々例年通りに忙しく働いていたら、急にボスの姉さんから電話があり、「明日から2週間の休暇始まるわよ…」とのこと。そんな急に言われても!!私準備が。というか仕事がまだ終わっていないんですが。とめずらしく、丸一日休日出勤し、残っていた仕事を終わらせて、電車のチケットを変更して、めでたく先週5日にスコットランドへ出発したわけです。つづく…。

31 Dec 2010

もうすぐ。

ロンドンは後5時間程で年が明けます。
高校時代の友達とうどんを食べて、寿司を巻いて、片田舎のロンドンを見渡せる丘へ上って、新年をお祝いしたいと思います。

2010年、いつにも増して本当に沢山の方々にお世話になりました。自分にとって一番大切なのは周りの人たちとのつながりなのだと深く思えた年でした。
ウェールズ、フランス(2度)、ミラノ、東京、静岡、沖縄へ旅をすることができました。
新しい人との出会いも沢山ありました。
風邪は相変わらず良く引いてました。
背が伸びたと勝手に勘違いしてました(全く変わらず)。
絵を沢山描きました。自分の絵がそれぞれ我が家を見つけて巣立っていきました。
水泳をまた始めました。
イギリスそろそろ離れようかと考えるようになりました。

今のところ計画だらけの2011年ですが、実はその計画にない予想外の事態にも前向きに立ち向かっていきたいです。何が起こっても喜んでお迎えしたいです。

ということで新年は星野道夫氏の友人、Celia Hunterの言葉を糧に毎日を過ごしたいと思います。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

'Life is what happens to you while you are making other plans'. 
(人生とは、何かを計画している時に起きてしまう別の出来事)



28 Dec 2010

こんなかんじ。

昨晩吉本ばななののTSUGUMIを読んでいました。
そこに、私の今の感情をよくもまあーここまで忠実に表した、という箇所がありましたので抜粋したいと思います。まためそめそしてしまった。最近こんなかんじ。


(主人公のまりあが育った山本屋旅館が来年の春閉館する事になり、最後の夏を過ごしに戻ってくる…)

 つぐみが立ち上がり、冷蔵庫へぺたぺた歩いていって、昔、酒屋でもらったミッキーマウスのグラスに麦茶を注ぎ、ごくごく飲んだ。そして空のグラスを磨きこまれた流しにことり、と置いて言った。
「あのつらで、ペンション。はためいわくな親父だ、ほんとに」
「それが夢だったのね、お父さんは」
ちょっとだけ目を伏せて、陽子ちゃんは言った。
 こんなに確かに今あるここが、来年の夏にはあとかたもない。そんなこと、ぴんとくるはずもない。多分、この子達にもきていない。
 毎日なんてずっと、なんていうことはなかった。この小さな漁村で、寝て、起きて、ご飯を食べて暮らした。調子が良かったり悪かったり、TVを見たり、恋をしたり、学校で授業を受けたりして、必ずこの家に帰ってきた。そのくりかえしの平凡をぼんやりと思い返してみるとき、いつのまにかそこに、ほんのりあたたかく、さらさらした清い砂みたいな何かが残る。
 ほのかなそのぬくもりをそっくり感じて、旅疲れで少し眠いわたしがうっとりとなつかしい幸福を味わっていた。
 夏が来る。さあ、夏がはじまる。
 必ず1回こっきりに通りすぎて、もう2度とないシーズン。そんなことよくわかった上でいつも通りに行ってしまうだろう時間は、いつもより少しはりつめていて切ない。その時、夕方の部屋にすわって、私達はみんなそのことをよく知っていた。悲しいくらい知った上で、なおとても幸福な気持ちでいた。



人生3分の1の時を過ごしてきた土地を離れるのは何とも悲しすぎる。土地というか、まわりの大切な人たち(かなり沢山)と離れるのがつらいねえ。果たしてそんなことできるのか!と不安になります。色々計画たてているけれど、本当は離れたくないんだなあとひしひしと感じる日々です。でもだからか、返って毎日が楽しいです。今しかない、という感覚で充実しています。

24 Dec 2010

w'hoooo

あー忙しい忙しい。
クリスマスイブです。普段寂れた我が下町も明日用の買い物客でごった返しています。八百屋のおばちゃんにも、雑貨屋のトルコオヤジにも、花屋の怖いおばちゃんにも「Merry Christmas.」お祝いだな。心地よい忙しさです。イギリス生活もうすぐ8年目にして、ここまでクリスマスに対し落ち着きを得た自分にまた泣いてしまう。(去年までかなりおろおろな挙動不振。)

昨日は日本から親友夫婦が到着、27日にはミラノの友達が合流。沢山の大切な友達に囲まれたクリスマスと新年になりそうです。